2022年「国際ジェンダー学会研究活動奨励賞」研究活動報告書

1.氏名:郭立夫

2.研究活動報告

 2023年5月15日、例年だと中国の性的マイノリティ団体が国際反ホモフォビア、トランスフォビア、バイフォビアの日(International Day Against Homophobia, Biphobia and Transphobia)の5月17日を目前に、様々なイベントが用意されている時期であるはずが、これまで性的マイノリティの社会運動を牽引してきた北京LGBTセンター(北京同志中心)が活動中止を発表した。センターは自らのWeChat公式アカウントで「不可抗力によって、北同文化は本日をもって運営を中止する」と発表した。中国でよく使われているこの「不可抗力」という表現は、中国政府を中心とする一連のアクターによる妨害を意味する。

 実際、性的マイノリティコミュニティの存在及びその活動に対して、中国政府は複雑な態度を示してきた。1970年代末からの改革開放を契機に、中国は経済体制だけではなく、法制度や医療制度などに対しても大きな改革を促した。その中では、特に1997年の『刑法』改正と2001に発表された『中国精神疾患診断基準第三版(中国精神疾病診断標準第三版、以後CCMD-3)』がとりわけ同性愛者の「脱犯罪化」及び「脱病理化」の道標とされている。しかし、この「脱犯罪化」と「脱病理化」の道標のどれも性的マイノリティの権利保護を理由に実現されたものではなく、改革開放という大きな国家政治の中で実現されたと理解することが適切である。

 そこで、本研究は現代中国における性の政治はどのようなものなのか、そして性的マイノリティの社会運動の観点から、この性の政治はどのように作用し、どのような権力関係を構築しているのかという問題を検討した。中国における性的マイノリティの社会運動を理解するためには、個人の権利を尊重する民主社会を前提とする市民社会概念には限界がある。中国の市民社会研究は改革開放後のリベラリズムの政治思想を前提として展開され、市民社会の存在を中国的民主主義の実現の可能性として考えてきた。しかし、その理想は依然として自由な人権(とりわけ法的な権利主体)をその前提に有している。実際、アメリカにおけるクィア理論が近年論じているように、合法的なグローバル権利主体を前提とするクィア運動にはホモノーマティヴ(homonormative)な方向に走る可能性があるだけではなく、非西洋社会に存在する性的マイノリティの運動を植民地化する可能性もある。そこで、本研究はこの理論的苦境を突破する試みとして、中国本土の潘绥铭が主張する「性革命」の概念を使用して、中国における性的マイノリティの社会運動を分析した。この「性革命」という概念は性の政治に変革をもたらすことは三つの側面にかかっていると説明する。つまり政府による社会統制、知識エリートによる性科学、そして民間における性文化である。

 本研究はフィールド調査の資料に基づいて、WeChatやWeiboにおけるオンライン言説の収取と分析から、潘の「性革命」の実現は「西洋VS中国」という二項対立によってその効果が強く左右されると主張する。そして、中国における性的マイノリティの社会運動は中国が近代化するプロセスに絶えず存在してきた西洋という他者に対する不安に緊密な関係があることを明らかにした。

 これらの研究発見はまず申請者の博士論文に収録したい。それから、それぞれの事例ごとにこれから学会誌などで研究成果を発表していきたい。

 

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1. 氏名:児玉谷レミ

2. 研究活動報告

 本研究では自衛隊を冷戦終結後に台頭した「ポスト近代の軍隊」として位置づけたうえで、自衛官への聞き取りを行い、戦うという行為と男性性がいかに取り結んでいるのか考察した。調査は対面もしくはオンラインによって、1時間10分から最大4時間ほどの半構造化面接法にて実施した。インタビューでは、自衛官となった経緯や自衛隊で勤務するなかで印象的であった出来事、理想とする上司や先輩後輩関係、直面した困難をいかに乗り越えたかなどを尋ねている。

 上記に示した調査の結果、組織の理想や自衛官としてあるべき姿においては、戦うという行為と男性性を結び付けるようなありかたが主流であることが明らかとなった。自衛官の語りにおいては、命を懸けることを厭わない勇敢さ・部下を率いるカリスマ的なリーダーシップなどといった性質が語られ、それらは男性的なものとして意味づけられていた。したがって女性隊員はこうした男性的な規範にあわせてふるまうことを求められ、女性的とみなされる性質や行動を自衛官・自衛隊にとって本質的ではないものとして意味づけ、時にそれを排除する形で組織に適合しようとしていた。他方で、戦うという行為と男性性の結びつきが主流であるものの、戦いを回避することと男性性を結びつける語りも得られ、自衛隊の軍事的男性性の様態は一枚岩ではなかった。

 さらに調査の結果得られた興味深い点は、テクノロジーの発達や現代戦におけるサイバー領域の重要度が高まった影響からか、通信系の職務(厳密に言えば通信科職種とサイバー防衛隊は職務内容が異なるが)のジェンダー化された意味づけが再編される様子が観察されたことである。例を挙げれば、通信科職種を女性的な細やかな気遣いが発揮されるため女性自衛官に向いている仕事とする語りと、かつては「オタク的」な仕事であったが現在ではサイバー領域の重要性の高まりにより、「エリート」が集まるようになったと評する語りがともに見られた。これは女性的あるいは価値を低められていた職務が男性的で優れたものとして意味づけられていく過程を示していたのではないかと考えられる。

 いくつか今後の課題とすべき事柄も出てきたため、以下に述べたい。第一に、調査の結果、他国の軍隊が有するポストモダン的なありかたとの類似性にとどまらず、自衛隊が持つ特異性・固有性が浮き彫りとなった。たとえばポストモダン・ミリタリー論においては、軍隊は冷戦以降、他国に赴き平和維持活動などに従事するために、国際関係論や人類学などの知が重視され、それに伴って特に士官クラスにおいて学者軍人のプレゼンスが高まることが指摘されている。ところが今回の調査においては、他国軍の士官に相当する幹部自衛官が学術的な素養を身に着けることの重要度は、現場で求められる知と比較して低く見積もられることが多かった。また、必要性が語られる場合もあくまで「他国の軍人と対等に渡り合うため」とされていた。なぜそのような異同が生まれるのか、日本の社会的・歴史的文脈を適切にふまえたうえで、さらに考察を深めていきたい。第二に、自衛隊外部の社会に目を向ける必要性である。すでに英米圏の研究で指摘されているように、軍事と男性性の結びつきが維持・構築されるにあたっては、軍隊内部の実践のみならず、軍隊外部の社会も影響を及ぼす。自衛官はメディアなどによる自衛隊表象に気を配っており、外部が描く「自衛隊」像と交渉する形でジェンダー化された組織の理想を語っており、自衛隊の軍事的男性性をめぐってもまた同様であると考えられた。今後は自衛隊内部のみならず、外部の社会がどのように自衛隊を描いてきたのか検討していく必要もあるだろう。

 他からの助成金を得ることができず、思うように資料の収集や調査を進められないのではないかという不安も大きかったが、今回奨励賞として支援をいただけたことは望外の喜びであった。学会報告や投稿論文によって、調査で得られた成果を還元していきたい。

 

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1. 氏名: 新倉久乃

2. 研究活動報告

 2022年「タイ女性の高齢期のライフプランへの来日経験の影響:在日タイ女性と帰国したタイ女性の語りから」をテーマに、本研究活動奨励賞によって実施した調査と研究活動を報告する。

 現代は日本もタイも長寿社会が実現し、長い高齢期をいかに過ごすかという「高齢期のライフプラン」が重要になっている。今回の研究では、在日タイ女性が、タイに本帰国してライフプランの再構築に取り組む時に、高齢期を支える経済的と社会的基盤と家族の中のジェンダー役割の関係に注目した。

 高齢期の経験は、身体的のみならず社会的側面が指摘されるが、社会的側面は地位や役割の変化に基づき社会生活の変化として経験される。そこで本研究での問いは、日タイ二カ国の間をトランスナショナルに生きてきた在日タイ女性が、高齢期の生活基盤をどちらの国に置くか、選択した場所でこれまでの来日経験の影響によって、どのようにライフプランを再構築するかとした。

 2022年までに実施した50代から70代の在日30年前後のタイ女性5人を対象とした日本でのインタビューに加え、今回は、2019年以降コロナパンデミックによって中断していたタイでの調査を実施した。調査協力者はコロナ禍の2020年にタイに本帰国した70代のタイ女性であり、筆者は、女性が娘と同居している自宅にホームステイをしてインタビューと参与観察を行った。

 これまでの日本の調査では、壮年期には日本で子育てと就労し、高齢期に継続して日本に生活基盤を置くことを選択した女性は、その理由に、彼女たちの日本国籍の子や孫は日本に定着していると語っていた。一方、今回のタイ調査の相違点は、女性の娘は前婚の子でタイ国籍であった。その娘は日本に留学し就労経験があり、永住者となっているが、現在はタイに帰国して日系企業に再就職している。また今回のタイ調査の協力者は、壮年期には日本で子育てと就労をしてきたが、13年前に夫と死別していた。その後、寡婦年金を経済基盤に一人暮らしをして、タイ人集住地域でレストラン勤務や、同国人の福祉相談に同行ボランティアをしてきた。そのため、タイ人、日本人に知人が多かった。帰国の動機は体調不良で、ケアする娘や周囲のタイの友人に迷惑をかけないことと、寡婦年金がタイでの最低限の経済的基盤になるということであった。タイに本帰国後、体調は安定し、現在はタイを本拠地としてライフプランを再構築する段階となっていた。タイへの本帰国とライフプラン再構築の要素について、以下のような知見を得た。

 これまでの日本での経験を生かす:壮年期に日本での就労やボランティアで結ばれた同国人との紐帯は強い。SNSやライン電話で連絡を取り合い、タイにいても日本で知り合った在タイの知人とスモールビジネスや日本での年金受給について相談をしている。タイの家族関係:高齢者として「ケアされる」より、孫の日常に世話「ケアする」祖母役割を果たしていた。娘は夫と別居しているが、日系の会社で安定した収入があり自立している。娘の勤務状況では子育てにかけられる時間が短く、女性の祖母役割が欠かせない。タイのコミュニティの中の位置:娘と同居する地域は娘の通勤に便利な場所であり、女性の出身地ではなく地域的なつながりはない。日本では自転車で移動していたが、タイの交通事情では自転車やバイクでの移動は危険で、車の運転ができないため移動の不自由さを感じていた。移動においては「ケアされる」立場になる。ライフプランの再構築とジェンダー役割:健康回復とともに日本での生活に戻りたいと、自分の選択に迷う側面もあった。一方、現在は孫のケアに専念しているが、今後、感情的な側面のみならず経済的にもケアする祖母役割を果たしたいと考えている。女性のライフプランは、タイ中部に所有するエビ養殖場から得てきた収入で、日本で知り合ったタイ女性のタイ北部の果実畑を購入し、その農園経営収入により孫によりよい教育機会を与えたいと考えていた。  

 今回の調査では以上の諸要素から、タイでのライフプランの再構築において、女性は1)地縁がなく移動が不自由な土地で、孫の世話という「祖母役割」のみに埋没することを望んでいない。2)壮年期に日本で築いた人間関係とタイでの資産運用、そして土地勘のある出身地近郊での農園経営によって、新たな「祖母役割」として経済的発言権を持とうとしていた。しかし、成人し経済的自立をしている娘のライフプランに大きな影響を与える内容であった。以上の二点からライフプランを再構築は、「ケアされる」高齢者像でなく、家族を「ケアする」高齢者を目指していた。これらは、長期にわたる高齢期という新たなステージが実現したことによって生まれた現代的課題である。

 今後、この長い高齢期というライフステージを、来日経験から得たトランスナショナルな社会的、経済的資源と、家族の中での「ケア」の多様な側面についてジェンダーの視角から分析を進めていく。そして日タイのコミュニティの中のジェンダーや、日タイの社会保障という経済的基盤にも焦点をあてて分析を行う。成果報告は、今年度はISAで在日タイ女性の高齢期と日本の社会保障をテーマに行う。加えて、国際ジェンダー学会では2023年の大会で、来日経験のある在タイ女性のライフコースの中での帰国時期とライフプランとジェンダー役割について、帰国時期を壮年期と高齢期として比較して報告したいと考えている。

 

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1. 氏名: 文可依

2. 研究活動報告

 2012年頃から、中国の都市部やオンライン空間で、若者を中心としたアクティビストたちが「フェミニズム行動派」を名乗り、一連の運動を行った。中国において、性的マイノリティの権利をめぐる問題は、行動派の運動で初めてフェミニズム運動の内部で扱われるようになった。本研究は、フェミニズムと性的マイノリティの関係という問題を中心に、行動派の運動におけるフェミニズムの政治を考察した。

 行動派の運動は、積極的にSNSなどのプラットフォームを活用し、オンライン空間で情報発信を重視する運動である。本研究では、行動派の運動に関連するオンライン上の資料を収集した。これには当時のアクティビズムをアーカイブした写真や録音・録画、当事者がSNSなどのプラットフォームで発信した文章やステートメント、ポッドキャストが含まれる。また、当時の新聞記事や、アクティビズムとその背景に関する論文や批評文章など、多角的な情報も収集し、分析を行った。

 本研究は、まず行動派の運動と性的マイノリティ女性が主導した「拉拉運動」との交流の経緯を概観し、また、その運動におけるフェミニズムと性的マイノリティ運動の「連帯」とその背後にある齟齬や緊張関係をめぐる言説を取り上げ、さらに、性的マイノリティの権利に言及した二つのアクションを分析した。以上の考察によって、ジェンダーとほかの様々な要素による不平等の交差性を重視するような政治が行動派の運動と拉拉運動の交流の中で探究され、フェミニズムと性的マイノリティの間にこれまでなかった連帯の可能性が示されていることが明らかになった。一方、結局のところ交差性の視点が軽視され、フェミニズムと性的マイノリティの齟齬を温存されたままとなり、社会構造変革の可能性も損なわれていることも浮き彫りになった。最後に、#MeToo運動以降の現在中国のフェミニズム運動においては、交差性の欠落がもたらした問題がさらに外部からのバックラッシュによって悪化しているような現在中国のフェミニズム運動が直面している危機を明白にした。まさにこのような状況において、行動派の運動における交差性の政治の探究と欠落を再検討することは、現在危機に満ちた中国のフェミニズム運動、ひいては、ほかの地域の様々な危機に向かっているフェミニズム運動を再考する一助となる可能性があることを示した。

本研究の成果は以下の2点で公表した。

学会発表:

・「中国におけるフェミニスト・ポリティクスと性的マイノリティ:フェミニズム行動派の運動を中心に」、国際ジェンダー学会、オンライン、2022年9月

学術論文(査読あり):

・「フェミニズムの政治を開く:中国のフェミニズム行動派の運動と性的マイノリティ」、『ジェンダー研究』(25)、東海ジェンダー研究所、pp.119-142、2022年2月28日

 

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1. 氏名: 山本沙希

2. 研究活動報告

 調査研究活動支援金は、北アフリカのマグリブにおいて手工芸分野の事業を営むムスリム女性の起業実践を法制度とのかかわりに依拠し分析するという、研究活動のために使わせていただいた。

 イスラームを国教とし国民の大半がムスリムであるチュニジア、アルジェリア、モロッコのマグリブ3国は、欧州による植民地支配の経験など歴史文化的な共通点をもつ一方で、政治体制や産業構造上は異なる特徴を有しながら発展してきた。そのうち、これまで主要な研究対象国としてきたアルジェリアは、フランスの植民地支配から独立後、地下資源依存型の経済体制に加え、1990年代に事実上の内戦を経験したこともあり観光産業に乏しく、手工芸分野で起業する女性は国内市場向けに活動するのが主流であった。それに対してチュニジアとモロッコは、系統は異なるものの観光産業を推進し欧州を始め周辺国からの観光客の受け入れ先となってきたことから、都市部で手工芸職人として活動する女性事業主の取引相手は国外からの観光客や外国人居住者を含み、より多様化する傾向にある。

 しかし、従来の研究はこうした産業構造の違いを示すに留まり、機織りや刺繍、仕立てなど同系統の「手工芸」に従事する同地域の女性職人が、事業認可を得ず、所謂「インフォーマル経済」の範囲で零細事業を営む事業主として活動している背景とその課題については、充分に検討してこなかったと言えよう。よって本研究では、当該課題へ接近するための手始めの試みとして、マグリブ各国の手工芸分野に関連する国内法制度と、それが起業実践に及ぼす作用を検証することを目指した。

 2022年度は、まず日本で入手可能なマグリブ女性の商行為に関する人類学及び民族学的研究の読み込みを行った上で、各国における関連法の条文等を参照し、手工芸分野の起業に必要な制度的手続きの比較検討をおこなった。次いで法制度が女性事業主や企業家によってどのように認識されているか把握するため、2023年2月にはモロッコのラバトで2週間、フランスのマルセイユで1週間のフィールドワークを実施した。当初はアルジェリアでの調査を優先的に計画し現地の研究機関より受け入れの内諾を得ていたものの、同国の高等教育省による承認待ちの状態が続いたために主要な渡航先をモロッコのラバトに変更し、加えてアルジェリア系移民が多く居住すると言われるフランスのマルセイユで補足的な調査をおこなうこととした。モロッコでは女性企業家団体や、長期にわたり女性への起業支援を実施してきた女性支援団体、女性起業支援プロジェクトを展開する国際援助機関を訪問し、モロッコ国内における女性の起業環境、近年の国家政策の傾向、コロナ禍の起業状況に関する聞き取り調査に着手した。フランスのマルセイユでは、ヨーロッパの観光客向けにアルジェリア伝統衣装の仕立て業を営む仕立て職人等に接触し、移民として同国で起業することについて語りのデータを得た。これらの調査データを更に精緻化し、研究成果としてまとめることが今後の課題だが、2022年度の主要な研究業績は以下の通りである。

<論文>

山本沙希 2022「現代アルジェリアにおける機織り女性のコロニアルな遺産の利用と組織化の実践―カビリー地方『絨毯の村』を事例に」日本中東学会年報AJAMES. No38-1, pp.125-160. 

<ポスター発表>

山本沙希 2022「現代アルジェリアにおけるカトリック宣教者とムスリム女性との相互流用に関する考察」東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所(AA研)海外学術調査フォーラム(オンライン).

山本沙希 2022「現代アルジェリアの女性零細事業主が描く『信』世界」2022年度イスラーム信頼学全体集会ポスターセッション(於:東京外国語大学).

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